■ かつて昔にあった情景に、思いを馳せながら、山城を作る楽しさがあります。
@ 造形ベースの高さ(H)は水平方向の距離の2倍に拡大して、3Dプリンターで造形しています。(起伏を強調するため。)
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●国吉城 若狭 【ZWS043】
【福井県美浜町】
国吉城は、西暦155年に若狭国守護武田氏の重臣、粟屋越中守勝久が、若狭国と越前国の境を守備するために築いたと伝わっています。
1563年に越前朝倉氏の軍勢が侵攻し、国吉城を攻めましたが、勝久は城に籠ってこれを撃退します。難攻不落の堅城として、朝倉氏が滅亡する1573年まで、ほぼ毎年攻めかかる朝倉勢を撃退し続けました。
1570年に、朝倉攻めに向かう織田信長の軍勢に加わり、国吉城から最初の越前攻めに向かいました。
1583年に豊臣秀吉の家臣、木村常陸介定光が城主となり、国吉城を石垣造りの城に改修し、城下町の整備を行いました。江戸時代初めに城が廃城となって以降城下、は丹後街道の宿場として栄えました。
【参照先URL】
美浜町史跡 国吉城址
【造形品について】
●素材 ・PETG 黒
●サイズ ・L(横):178mm W(幅):162mm H(高さ):50mm
●月山富田城 【ZWS071】
【島根県・安芸市】
富田(とだ)城跡は、戦国大名尼子氏の居城として知られています。
域郭は本丸など主要部を月山中心に置き、飯梨川に向かい馬蹄形に延びた丘陵上に多数の曲輪を配置しています。
1566年に尼子氏滅亡後、毛利氏、吉川氏が在城し、1600年の関ヶ原の戦後に入城した堀尾氏が1611年に居城を松江城に移すまで、城下町として繁栄しました。
【参照先URL】
安来市観光ガイド 月山富田城跡
【造形品について】
●素材 ・PETG 黒
●サイズ ・L(横):163mm W(幅):142mm H(高さ):52mm
●佐伯城 豊後 【ZWS094】
【大分県・佐伯市】
関ケ原合戦後の1606年に毛利高政が新築した実践的な山城で、細い尾根を利用して総石垣で築かれた。
関ケ原合戦後直後とあって軍事性を優先した近世的な作りとなった。
南北に長い縄張りが特徴で、現在、山頂の主郭部の石垣と麓にある三の丸跡の石垣、また建物は三の丸櫓門が現存する。
【参照先URL】
佐伯市観光ナビ
【造形品について】
●素材 ・PETG 黒
●サイズ ・L(横):177mm W(幅):151mm H(高さ):55mm
●松山城 備前 【ZWS102】
【福岡県・苅田町】
豊前松山城は戦国時代に築かれた城です。主に大友氏や龍造寺氏によって築かれたとされています。城の歴史については、戦国時代から江戸時代にかけて、多くの武将が城主として治めていました。また、豊前松山城は、関ヶ原の戦いで西軍に属したため、戦後は改修が行われ、現在もその姿を残しています。
豊前松山城には、国宝に指定されている天守閣があります。また、城内には歴史的な建物や展示物が多く、必見の場所です。。
【参照先URL】
苅田町ホームページ
【造形品について】
●素材 ・PETG 黒
●サイズ ・L(横):133mm W(幅):130mm H(高さ):38mm